なりたい自分と今の私

昨日はとても暑かったですね。
夏は好きですが、毎日汗でベタベタになるのは勘弁してほしいです。

昨日の夜はメイクも落とさずに寝てしまって、こんな早朝に目を覚ましてしまいました。
でも朝日がきれいでちょっと得した気分です。


最近ネガティブ思考になりがちですが、そのときに考えることがあります。
それは「なりたい自分」について。

これは、知り合いの若い女の子がよく言ってることなのですが、その子がネガティブ思考に陥ったときに「こんなの私のなりたい私じゃない!」と言って「ネガティブおしまい!」的な感じですぐ立ち直ってしまうのです。

すごいなって思いました。
私は元々考え込みやすいタイプで一ヶ月に何回かは落ち込んでしまうのですが、そうなってしまうと孤独感と自己嫌悪で潰れそうになってしまいます。

でもその子の「なりたい私」という言葉を見て、私のなりたい私ってどんなのだろう?と考えてみました。


私がなりたい私とは、「考えすぎず孤独にならず一人行動ができてかっこよくて優しくて頼れる存在」でしょうか。

それは今の私のダメなところを剥ぎ取った姿でした。
自分の嫌いなところを排除した姿が「なりたい私」でした。

ということは、今の私はなりたい私とは程遠いということです。


それに気づいたとき、私は落ち込んだり考えすぎているときに、あの女の子が言っていたように「こんなの私のなりたい私じゃない!」と思うようにしてみました。

そうすると少しだけ「もうやめよう!」とネガティブ思考を止めることができました。


この考え込みすぎるクセは持って生まれたものだと思うので、自分の性格的に変わるものではないと思いますが、少しずつ「なりたい私」に近づくために努力して変わっていきたいと思います。

嫌いな人、どうでもいい人

今日は仕事だったのにも関わらずやる仕事がなくてとても暇で、暇で暇で暇で仕方なかったです。
天気もよかったのに、仕事のない職場に閉じ込められる苦痛。
金のためと言い聞かせ乗りきった一日でした。


私は一年前からこの世のなかで最も嫌いな人がいます。その人をAとします。
Aに対する私の"嫌いさ加減"は、親が殺されでもしない限り誰も上をいかないであろうと思うほどです。

なぜそんなに嫌いかというと、まあいろいろあったのですが、要するにずる賢くて小癪なんですね。
それに加え、上から目線、人を下に見ている、空リプなどでこちらにわかるように悪口を言う、それを正当化している等々。
まだまだあるのですが、言い出したらキリがないので。

以前は仲が良かったんです。Aの家に泊まりに行ったりするほど。
でも日に日に態度が悪くなり(多分私を下に見始めたのでしょう)、毎日の空リプ攻撃、突然LINEで怒りの長文攻撃。
そして私は耐えられなくなりました。


Aに好きな人のことを相談していました。
とても好きな人でした。その人をBとします。
初めて心から愛してほしいと思いました。

Bを好きになってから間もなく、AとBを私が引き合わせてしまいました。
一緒にグループになって遊んだんです。
AとBは歳が近かったんです。
グループになって遊びやすいと思ったんです。

それからというもの、AからBへの猛アタックが始まりました。
私の目の前でTwitterでリプを送ったりしてました。
それからずっとAとBはLINEで連絡を取っていました。

私はAに会って何度も相談しました。そして何度も言いました。
「AはBのこと好きじゃないの?」「二人がくっつきそうで怖いよ」と。
Aはその度に「ないない」と言っていました。
現に彼女はその頃別の彼氏を作っていました。


私は頑張りました。Bはいくつも年上だったので、なんとか恋愛対象として見られようと努力しました。
誕生日プレゼントあげたり、バレンタインにチョコをあげたり、デートしてくださいと自ら誘って二人きりで遊んだりもしました。


結果はダメでした。
告白はしていないのですが、なんとなくわかるじゃないですか。
何回も会ってて、こちらの気持ちを知っていたはずなのに何もなかったんです。

出会ってから何度もきてたBからの連絡も、電話も、ドライブに行くことも、ある時を境になくなったんです。
私のアタックに引いちゃったかな、やっぱりないな~って思ったのかな、と落ち込んだりもしました。


だめだな、と気づいて諦めてから数ヵ月後。
私はAとBが付き合っていたことを知りました。
友達伝に聞いたんです。

なんでも、Aはその頃付き合ってた彼氏とろくに別れ話もせず「別れた」と周りに言いふらし、でも彼氏は納得いかないから話をしようとAにコンタクトを取るのですが会ってもらえず、Aは「別れたのに彼氏がしつこい」と被害者面をし、それをBが「守ってやるよ」とかっこつけ、めでたくくっついた、というわけです。


よくある話です。好きな人を相談していた人に取られた。それだけのことです。
よくある話です。


でもね、Bは私と二人きりでデートしたとき、もうすでにAと付き合ってたんですって。
それをAも知ってたんですって。
そのとき、AはBの家にいて、Bは止めるAを振り切って私と遊んでたんですって。

なんてバカらしいんでしょう。
あのとき私は舞い上がっていました。
なんてったって好きな人とデートですよ?
うきうきで、そのために髪も切って、朝から時間かけてメイクして。

それなのになんですか、Aを家に置いて私と遊んでたって。

私はその真実を聞いたときもうすでにBのことは好きじゃなかったのですが、
私の中で「好きだった人」が「いやな人」「どうでもいい人」に変わりました。

私が嫌いな人を選ぶ程度の男です。
その時点でお察し。価値観が何もかも合わないですね。

Aのこともしばらくは嫌いだったのですが、今では「もう私の世界に存在しない人」になりました。
嫌いとかいう興味も薄れたんですね。

まあ今でもたまに見かけると「気持ち悪いな~」と不幸を望んでしまったりもしますが、それはすぐに消えてしまいます。


「嫌いな人」が「どうでもいい人」に変わるとき、人は成長しているのではないかな、と思います。
そんな人に構ってる時間はないってことなんじゃないでしょうか。


今日はとても長くなってしまいました。
つたない文章でわかりづらかったかと思いますが、ここまで読んでいただけたのであれば私はとても嬉しく思います。


明日はお肉を食べよう。

孤独感に襲われる

今日髪を切りに行ってきました。
学生の頃までは髪を切るだけで何千円も取られるのがバカらしくて、年に一回だけバッサリ切ってまた一年間伸ばし続けるということをしていました。
その頃の私はだいぶモサくて、今じゃ考えられないですね。


今日は一人行動して、良い日だったんです。
美容室に行って、ソフトクリーム食べて、書店に行って、スーパーに行って帰ってきました。
一人車の中でノリノリで歌いながらいろいろ行って、楽しかったんです。

帰ってきてご飯食べて夜です。ゲームしたりYouTube見たりしてました。
それからまあ、普通にいつも通りTwitterを見たんです。

そこにはそんなに親しくない何度か遊んだことがある程度の友達や、そんなに遊ばないけれど学生時代からの友達のツイート。

一人は「免許を取れた」と。そして(おそらく友達に)お祝いに食事を奢ってもらったと。
一人は職場の人と知り合いの店にご飯食べに行ってとてもとても楽しかった、と。
言葉にならないほど楽しかった、と。

私はこんなときに孤独を感じてしまうのです。
ああ、なんて皆楽しそうなんだろう。私は一人です。
誕生日以外のお祝い事などされたことがない。
言葉にならないほど楽しかったことなどあっただろうか。思い出せない。


私は今日一人で楽しかったんです。

楽しかったはずなんですけど、そんな気分が一瞬で砕けるような、そんなことを考えてしまう自分が大嫌いです。


たまにだけど頻繁に訪れるこの孤独感と、私は一生付き合っていかなければならないのでしょうか。
何がどこまでいけば自分は満たされるのか、自分でもわからないです。

「若いから仕方ない」で済ませてください、未来の私。

具体的な話

今日も職場の年上の人に人生相談をしてました。
相談内容は「上京したいけどどうしよう」です。

今日相談した方はとてもしっかりしたママさんで、長年厳しい職場で働いていた人です。

私は「ここを飛び出す勇気もないし、出ていけるだけの財力もないし…」と言ったらその方に
「お金がないって言ってたらいつまでも出ていけないよね。お金なんて貯まることはないんだから」
と言われました。

その主を聞くと「お金貯めてても目先に欲しいものがあったら買っちゃうし、お金なくてもどうにかしようって気がないといつまで経っても何もできない。ただの言い訳にもなっちゃうよね」と。

私は確かに、出ていかなくてもよい、まかり通る言い訳として「お金がない」と言っていたなと思いました。

勇気がないのをお金のせいにして今まで過ごしていたんです。

今日、オリンピック選手が強盗に襲われ亡くなったというニュースを見ました。
とても衝撃的でした。
「オリンピックでメダル取るような人がこんな死に方をするんだ」と思いました。

私はどこかで「有名人は滅多に不幸な死に方はしない」と漠然と思っていたのです。
この間若くしてガンで亡くなった方もいました。

本当に何が起こるかわからないです。

だからこそ健康な内に、若い内に、何も背負うものがない内にやりたいことをやるのが一番だと痛感しました。

とりあえず9月に初めて東京に遊びに行きます。
そこで何か得られると思うのです。

自分という人間とは

最近、隙あらば将来のことを考えてしまう私です。

ワールドカップが終わってしまいましたね、面白かったです。
こういう数年に一度の大会を見終わったとき、私は必ず「数年後の大会を私はどこで見ているのだろうか」と考えてしまいます。
今と変わらない状況だろうか?はたまた、ここではないどこかにいるのだろうか?と。

四年前の私が今の私を想像できたかと言われると、過去の私には全くこれっぽっちも微塵も想像できない状況に今いると思います。
なので、四年後もそういう変化がでていればいいのですが…。

そんな今の私は、今すぐにでもこの状況から飛び出したいです。
この一年間で決して悪くない、むしろよい進化を遂げてきた私です。
考え方もがらりと変わりました。

進化したからこそ、この枠組みにハマっていたくないのです。

しかしすぐにはできません。
それは、私が臆病なのと金銭的なものと臆病なせいです。

今までの安定や頼ってきたものから離れるというのはとても勇気のいることです。
難しいですね…。

私はいつこの状況から飛び出すことができるのでしょうか。